駿府城を愛する会


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家康公が愛したまち静岡

■講演会 報告記

「家康公の築城戦略」(令和5年7月29日13時半~15時、アイワホール)

今回の講演会は、日本城郭協会理事の加藤理文氏を講師としてお迎えしました。様々な絵図や写真をパワーポイントで示しながら、家康公の手掛けた城の特徴について、ユーモアを交えながら明快にお話しくださいました。参加者は、会員35名、非会員9名、事務局2名の合計46名でした。 なお、講演会場には、ウッディジョー様に江戸城、駿府城、名古屋城の木製模型(150分の1のスケール)を展示していただき、講演の前後に同社常木社長から興味深いお話もお伺いできました。

一、加藤理文氏のご紹介
【略歴】
・静岡県浜松市(旧磐田郡水窪町)出身。1981年駒澤大学文学部歴史学科卒業。
・2011年「考古資料から見た織豊権力構造の成立と展開」で博士(文学)(広島大学)の学位を取得。
・現在、日本城郭協会理事・学術委員会 副委員長、織豊期城郭研究会共同代表、NPO法人城郭遺産による街づくり協議会監事を務める。

【著書】
・「織田信長の城」(講談社現代新書)
・「日本から城が消える」(歴史新書)
・「「城郭再建」がかかえる大問題」(歴史新書)
・「よくわかる 日本の城 日本城郭検定公式参考書」(加藤理文・著、小和田哲男・監修/学研プラス)
・「家康と家臣団の城」 (角川選書) など多数あり。

【日本城郭協会公認のお城サイト『城びと』の連載】
・「理文先生のお城がっこう」
・「理文先生のお城NEWS解説」
・「倭城を歩こう」(平井均、加藤理文)
・「城・縄張から普請まで」 など

【駿府城公園坤櫓の展示物の監修】
・「駿府城城縄張り図(推定復元)」
・「家康公時代の駿府城推定復元イラスト」



二、講演の主な内容
1、徳川系城郭の特徴
 1)家康公の城は当初、諏訪原城、丸子城、川越城など、土の城として評価があった。その理由は、工人集団を持っていなかったので、石垣の評価が低かったことによる。それに対して、豊臣家は工人集団を持っていた。
 2)関ケ原合戦は、徳川と豊臣の戦いというよりは豊臣恩顧の大名同志の戦いだった。そのため、家康公は、東軍に加担した大名に論功行賞で大幅加増せざるを得なくなったが、配置先を西国に追いやることで東国を確保しようと意図した。
3)家康公はすべて自分の手で築城するのではなく、豊臣恩顧の大名を囲い込むことにより豊臣方の城を徳川方の城に変えてしまった。たとえば、姫路城は豊臣恩顧の池田家の城だったが、家康公は三女督姫を輝政に嫁がせて、池田家を取り込み、防衛線を確保した。また、豊臣秀長に仕えていた藤堂高虎に加増したうえで層塔型天守を持つ今治城を築かせた。
4)秀頼がいた大阪城に包囲網を敷き、秀頼側の動きを封ずるだけでなく、西国への防衛線をも確保するという一挙両得の戦略を実行した。
  5)最大の特徴は、単体の城ではなく、城郭網を広域に連動して防御網を築いたことである。その理由は、徳川軍の最終目標が一国防備ではなく、江戸防備だったことによる。すなわち、姫路城を支配下に置き、大阪城を包囲したうえで、名古屋城、駿府城と築城していった。
6)豊臣家の城は、内部構造を知り尽くした城主や家臣団しか戦闘能力を発揮できなかったが、徳川家の城は誰が城主になっても戦闘能力を発揮できるように、高い石垣の上に多門櫓で周囲を囲み、出入口は枡形虎口で厳重に防備するというように標準化されていた。



2、縄張の特徴
 1)家康公の築城は、藤堂高虎の影響が強い。藤堂高虎は、関ケ原合戦で東軍に属し、その後の天下普請は高虎が指導したといわれ、徳川家の重臣として仕えることになった。
 2)最大の特徴は、長大で高い石垣上に築かれた多門櫓とそれを取り囲む幅広の巨大堀である。多門櫓は、土塀と異なり、内部進入がまず不可能な造りであり、それを巨大堀で囲むことにより、敵に逃げ場を与えない防衛力の増強を図っていた。
 3)高虎による石垣は、まっすぐなラインであり、途中に折れ曲がりを入れないところに特徴がある。折れ曲がりを入れないことにより省力化を図ったといえる。しかし、普通に考えると、この組み方は脆弱であり石垣が崩れやすいが、高虎はこの方法に自信を持っていたと思われる。



3、巨大櫓と枡形門
 1)重層櫓と枡形門が、徳川の城の特徴になっている。
 2)重層櫓は、通常の櫓よりも高いため、敵方の動きを見て取りやすく、三重櫓にすれば天守ほどの規模となって権威を示すこともでき、天守代用櫓と言われた。徳川大阪城は三重櫓を12基も備えた雄大な城であるが、それだけ高額であり工事日数も余計にかかった。
 3)一般的には、直線的な多門櫓を配したため、重層櫓は少なく済むことになり、また外観意匠を共通化して、省力化を図った。
  4)城の重要虎口は、いずれも枡形虎口が採用された。方形の外側に高麗門を、内側に櫓門をそれぞれ配し、二重の門にすることにより、虎口を厳重に防備していた。
  5)枡形門の最大の特徴は、通路を直角に折れ曲げることである。これにより、侵入した敵を三方から攻撃することができるようになっている。
(文責・事務局長 木宮岳志)