駿府城を愛する会


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家康公が愛したまち静岡

■視察会 報告記

「駿府城天守閣発掘調査現場と静岡市歴史博物館」(幹事対象)(令和5年9月16日)

今回の視察会は、本会の幹事を対象として、歴史博物館の学芸員と静岡市歴史文化課の職員による解説付きの深堀研修事業として実施しました。参加者は、藤井会長、久保田幹事長を含め11名の幹事、オブザーバーとして静岡市歴史文化課の田中課長・松下係長、同市緑地政策課の土屋係長他2名の職員、それに事務局2名の総勢18名でした。
12時50分に、静岡市歴史博物館1Fの「学習支援・市民活動スペース」脇の北側スペースに集合し、中村館長による歓迎のご挨拶と廣田学芸員による基本展示に関わるミニ解説を聴きました。その後、全員が「道と石垣の遺構」に移動し、学芸員による解説を聴きながら、改めて同遺構の歴史的価値を確認しました。
同遺構の見学を終えると、参加者は三々五々スロープを上がり、2Fの基本展示室に移動しました。まず目に飛び込んできたものは、大御所時代の家康公が駿府で世界の使節と交流した外交の歴史であり、それを裏付ける数々の貴重な宝物でした。ここで、歴史文化課の松下係長が丁寧に解説してくださり、駿府城が決して家康公の隠居の場所ではなく、家康公が世界を舞台に展開した外交の中心であったことをはっきりと再確認できました。さらに歩を進めると、家康公の75年の生涯を幼年期、壮年期そして老年期に分けて振り返るコーナーがありました。各期での壮絶な経験や戦国大名との目まぐるしい離合集散を経て、家康公が次第に権力基盤を固めて天下統一に至った凄まじい歴史がビジュアルに描かれていました。また、家康公の幼少期に大きな影響を及ぼした今川氏の文化や江戸幕府との関わりについてもきちんと展示されていました。家康公の人生における今川氏の存在を再認識させる場所でもありました。
基本展示は3Fへと続きました。ここでは、家康公が整備した東海道、駿府城下町の賑わいと武士や町人の暮らしぶりが詳細に紹介されており、当時の駿府における生活と文化がいかに豊かであったかを容易に想像することができました。駿府城下町絵図や昭和30年代の静岡市街地模型を見ながら、現在の静岡市の街と比較することができ、参加者は興味深く見入っていました。この辺りのコーナーでは、久保田幹事長がいろいろと解説してくれて、理解を深めることができました。
約1時間という限られた時間でしたが、参加者は思い思いのペースで基本展示を鑑賞することができ、14時半少し前に歴博を後にして、「駿府城天守台発掘調査現場」に移動しました。



「駿府城天守台発掘調査現場」の視察は、未だ残暑が厳しい中で、安全用ヘルメットを被って汗をにじませながらの散策となりました。最初に、ガイド役の歴史文化課松下係長が、説明用の大きな絵図などを示しながら、発掘調査と発掘調査現場の概要、慶長期の天守台・天正期の天守台それぞれの規模や特徴などについて説明してくださいました。その中で、「慶長期の天守台は東西63m、南北69mで日本最大級の規模です。これを批判する研究者もいますが、絵図にはそのような記載があるので、間違いありません!」と胸を張りました。
その後、参加者全員は歩きながら発掘調査現場を視察しました。松下係長からは、「慶長期の天守台は不幸にも焼失し再建されませんでしたが、そのため発掘調査が可能となり、思いがけず天正期の天守台の発見に繋がりました。」とか、「石垣は地震などで崩れて、積み直されていますが、発掘によって家康公が過ごしていたときの石垣も残っています。こういう石垣を見ることができるのはここだけですよ。」といったお話があり、駿府城天守台の歴史的意義を強調されていました。
さらに、歩を進めて慶長期と天正期の天守台が重なる場所に行き、石垣の積み方のちがいや様々な刻印に目を凝らしました。このような異なる積み方の石垣を同時に見られるのも大きな魅力であり、築城技術が時代とともに発展・充実していったことを実感することができました。16時に、きゃっしる前で、すべての行程を無事終了し、解散しました。
歴史的意義の高い発掘調査現場ですが、このままの状態を続けると劣化が進み、文化財としての価値が減損するおそれがあります。天守台の整備事業を早急に実施することにより、文化財を保護するだけでなく、観光資源としての価値を生み出してほしいと思いました。
歴史博物館の廣田学芸員や歴史文化課松下係長の懇切丁寧なご案内により、改めて駿府城と家康公の歴史を深堀することができました。廣田さん、松下さん、ありがとうございました。



(文責・事務局長 木宮岳志)