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家康公が愛したまち静岡

■理文先生と行く!静岡県お城巡り 報告記

「Vol.1 諏訪原城」(令和8年6月6日)

 今年度から、日本城郭協会常務理事の加藤理文先生によるガイド解説付きのお城深堀視察会を実施することになりました。1回目の今回は、加藤先生が諏訪原城応援隊副隊長ということから、諏訪原城跡を視察しました。参加者は、22名で全員が非会員、それに事務局2名の総勢24名でした。
 13時45分に、諏訪原城ビジターセンターに集合し受付を済ませた後、加藤先生のご挨拶と大まかな視察内容についてお聞きしました。



 いざ、出発!!まず、加藤先生が足を止めたのは、二の曲輪中馬出でした。ここは、三日月堀とも言われ、約300坪強もある壮大な丸馬出で、武田流築城の特徴がはっきり出ていると説明がありました。



 次に足を止めたのは、二の曲輪北馬出でした。ここには、門が復元されていました。この門は、礎石建城門と言い、発掘調査で確認された門の礎石から復元されたと説明がありました。その後、長い通路を歩くと、二の曲輪虎口の門の礎石があるところに出てきました。ここが二の曲輪の出入口であり、ここを通過すると広大な二の曲輪に出ました。そして、二の曲輪の先にある内堀を渡ると、本曲輪が見えてきました。大井川とバックの富士山が見える絶好の場所ですが、季節柄富士山を眺望することはできませんでした。東側は絶壁となっていて、「後ろ堅固の城」と言われる所以です。



 その後、カンカン井戸の前を通り過ぎると、二の曲輪東内馬出に出てきました。ここは、武田氏が設けた薬研堀を徳川氏が箱堀に改修したところという悦明がありました。さらに見学路を進むと、小さなお社が見えてきてそれを過ぎると鳥居をくぐりました。これが諏訪神社だと気づきました。ここは、武田氏が城内に諏訪大明神を祀ったことから、「諏訪原城」という名がついたことを思い出しました。その後、家康がこの城を攻略して「牧野城」と改名したのに、なぜか今でも「諏訪原城」と言われていることが不思議です。武田流の城ということかもしれません。
 約2時間という限られた時間でしたが、加藤先生の分かりやすいガイドを聴きながら、参加者は諏訪原城の特徴や武田と徳川の攻防についての理解を深めることができたと思います。加藤先生の懇切丁寧なご案内により、改めて諏訪原城を深堀することができました。梅雨の季節でしたが、幸いにも降雨はなく曇天でしたので、あまり暑くならず快適に散策できました。参加者全員、トラブルもなく無事終了できてほっとしました。 今後の開催がますます楽しみになりました。加藤先生、ありがとうございました。


(文責・事務局長 木宮岳志)